
プエルト・モン(チリ)~アルゼンチン経由~プンタ・アレナス(チリ)
(2010年8月3日~8月4日)
延々と延々と、どこまでもどこまでも続く地平線。
この世界一周の旅で最長のバス移動でした。
今回はプンタ・アレナスに到着から書こうと思ってたのですが、
RAWデータの写真を現像してみたら量が多い。
「そうか、そういえばこの時がアレか、30時間バスか。」
と思い出すに至りまして、
予定を変更して、プエルト・モンからプンタ・アレナスまでの
バス移動のお話しとさせて頂きます。
かといって、何か面白いことや大変なことがあったわけでもないのですが…。
まあ、なにはともあれ30時間です。
これまでも(この先も)、20数時間のバスは何度かありましたけど、
30時間を越えたのはこの時だけでした。
20数時間でもずいぶん長いですけどね。
出発の朝、
プエルト・モンの宿のキッチンで、サンドイッチのお弁当を作って、
水筒にコーヒーを入れてチェックアウト。
プンタ・アレナス行きのバスは11:00発でした。
バスに乗り込み、さあ出発。
そして、おやすみなさい。ぐうぐう。
30時間ともなると、もうとにかく寝るのみです。
ぶーさんは乗り物で寝るのは得意な方なので、
別にそれほど苦痛でもありません。
とはいえ、さすがに30時間ぶっとおしで寝るのはむずかしいので、
寝て、起きて、にちこさんとおしゃべりして、
ipodで音楽聞きながら車窓の風景を眺め、
また眠くなったら眠る。その繰り返し。
そうしていれば30時間ぐらいあっという間、
…というわけでもないけれど、なんとかやり過ごすことが出来ます。
バスはひとまず、
サンティアゴからプエルト・モンに来る時に通ったオソルノまで戻ります。

そうなんです。ですからサンティアゴから一気に南下したい場合は、
わざわざプエルト・モンに立ち寄る必要はありません。
オソルノとは言わないまでも、バリローチェに行ってしまえばいいかと思います。
オソルノはあまり何もない場所のような気がするので。

このオソルノ辺りで車窓から見えた、
独特なウロコ壁の家々。
なかなかかわいらしい。
バスはそこからバリローチェ方面に向かいます。
これが何を意味するか?説明いたします。
ぼくらはプエルト・モン(チリ)からプンタ・アレナス(チリ)に移動するわけです。
ところがその時にサン・カルロス・バリローチェ(アルゼンチン)を経由します。
なぜかといえば、パンアメリカンハイウェイが通っているのはアルゼンチン側だから。
チリにはそういった長距離バスがすんなり走れるような道路がないのです。
実際ぼくらの乗ったバスはその道のりのほとんどを
アルゼンチン側を走りました。
つまり、チリからチリへ移動するのにわざわざアルゼンチンを経由しなくてはならない、
でもまあ別に国境を2回くぐるぐらい今更なんでもないや、
…と思いたいところですが、ひとつ問題が。
食材です。
ぼくらに限らず、ここらを旅するパッカーの多くは自炊派かと思います。
みんな自炊のための食材を背負って移動していることかと思います。
ところが、なぜかチリは国境での食材に対するチェックがやたらと厳しい。
生鮮食品を国外から持ち込めません。
特に今回のような場合、
チリからチリへ移動するのに、なんで食材没収されなきゃならないんだー!
という理不尽な想いを抱くはめになると、そういうわけであります。
大したことないといえば大したことない話ですけどね。

というわけで国境越え。
まずはいったんチリからアルゼンチンへ。
バリローチェは、南米のアルプスと呼ばれる風光明媚な観光地です。
スキーとか、そういう感じだと思います。
ぼくらはスキーやらないし、観光地は興味ないのでスルー。
それでも車窓からの風景はなかなかでした。

この辺はバリローチェの少し手前、かな?
雪山の雪が風で吹き飛ばされてるとこなんて、
見るの初めてです。

美しい風景が続きます。

まるでウソみたいな色のピンクの夕焼け。
これはキレイでした。
さて、南米の長距離バスといえば車内食(しつこいようですが)。
しかし今回は、前回の失敗からちゃんと学びましたので、
たっぷりサンドイッチのお弁当があります。対策は万全。

そしてそういう時こそ、ちゃんと車内食が出ると。
とはいえショボかったのでちゃんと用意してきて正解でした。
ちなみに、コーヒー、紅茶はこのようにガラスのコップでした。
で、ちなみに、車掌からは「Tea or Coffee?」と聞かれたのです。
だから当然コーヒーか紅茶を頼んだわけですよ。
しかし!ふと隣の席や前の席を見ると、ペプシやファンタを飲んでいる!
そっちのほうがよかった!ちくしょー!
という、とても小さなアクシデントがありました。
バリローチェあたりを過ぎてしばらくするといよいよ本番です。

ひたすら続く地平線。
これが、20時間ぐらい続きます。

寝て、起きると地平線で、また寝て、また起きてもまだ地平線。
そういうのを5、6回繰り返してもまだまだ続く地平線。

すごかった。

こうして写真を並べるとそれなりに変化があるように見えますが、
実際は違います。

こんな地の果てにすら、休憩所があります。
この風景を眺めながら考えたことといえば、
チャリダーの方々のこと。
ぼくらはバスだから30時間で済みますけど、
自転車で旅するチャリダーの方々はこの道を何日かけて走るのかなあ…と思うと、
なんだかもう想像を絶することだよなあと思ったのです。
道は比較的舗装されてるので、
走ること自体はそれほど大変でもない気がします。
でもですね、ここまで延々とどこまでも地平線しか見えないわけです。
きっと、ひたすら漕ぎ続けてもヘタしたら一週間ぐらいまったく同じ風景の中を
走り続けなければならないのではないか、と思ったのです。
それってどういう気持ちになるのかなあ…と。
でもきっとみんな走るのですよね。
すごいなあ。
そしてもう一度国境を越えて、しばらくすると唐突に海岸線にたどりつきます。
この海が見えたらもう、プンタ・アレナスです。
プンタ・アレナス着は翌日の17:30。
カレンダー的には1泊だけど、気分的には2、3泊した感じです。
というわけでこの旅最長のバス移動もこれにて終了。

この旅でここまで地の果てのような景色の中を移動したのは、
中国に続いて2度目です。
ところが実際着いてしまうと、
あれ、こんなものか?という、あれ?おかしいな、という気分でした。
なんていうか、
あんなに荒涼とした土地を30時間も走り抜いたのに実感が少ないのです。
中国では、これに匹敵するかもしくはそれ以上の荒涼とした風景の中を、
バスがなかったので、チャーターした4WDとか軽ワゴンとかで移動しました。
その時は1度の移動が4~6時間程度でした。
しかしその時は、これでもか!というぐらいの実感があったのです。
いま自分はすごいとこに来ているなという、
なんだかほんとにとんでもないところまで来てしまったぞ、という実感。
そういう実感が長距離バスに乗って来てしまうと「ない」のだなということがわかりました。
正直この時は、中国よりよっぽど地の果てに来ているはずなのに、
なんだか誰でも来れるようなところに来ているだけのような気分だったのです。
そしてそれは、パタゴニアにいる間ずっと続くのです。
まあ、それについては追々。
というわけでプンタ・アレナスに到着。
この町は、中学生の頃からぶーさん憧れの町でもありました。

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