小さな世界一周

夫婦で世界一周!ぶー&にちこです。長らく中断していましたがブログ再開しました!☆6年前(2010)に旅した世界一周の記録です。

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バンコク(再):水かけ祭りと、UDD武力衝突の夜。

バンコク再トップ

タイ/バンコク(2010年4月8日~4月14日)

2ヵ月半ぶりのバンコクは、UDDの赤シャツ部隊に占拠されていました。
そんな中、カオサン通りはソンクラーン(タイの旧正月)を迎えます。







ラオスのルアンパバーンから、タイのバンコクへ。
またもや一気に移動です。

ルアンパバーン出発の日、
宿のおじさんの好意で、夕方まで部屋に居させてもらい、
17:30頃、チェックアウトして、ピックアップのトゥクトゥクを待ちました。

ビエンチャンまでのバスは、あらかじめ、ツアー会社で購入済でした。
1人120000kip(約1200円)(バスターミナルまでのトゥクトゥク込み)です。

30分ほど待ってやっと来た、トゥクトゥクで、
同乗の欧米人ツーリスト達と共に、バスターミナルへ。
バスターミナルで、チケットをもらって、18:30発、ビエンチャン行バス。
このバスは、やたらと暑かったです。




翌朝、AM5:00頃、ビエンチャン到着。あたりは真っ暗です。
ノンカーイ行のバスは、別のバスターミナル発着らしいので、
町の中心のバスターミナルへ。トゥクトゥクで移動です。(10000kip、約100円)

ビエンチャンバスターミナル

そのままバスターミナルで、2時間半待って、AM7:30発、ノンカーイ行バス。
1人17000kip(約170円)。ビエンチャン~ノンカーイ間は、すぐです。
このバスは、意外と快適でした。

メコン川国境

メコン川を渡って、ラオスから、タイへ。

無事、国境を越え、ノンカーイのバスターミナルに到着。
すぐに、バンコク行きバスのチケットを買います。
が、バーツじゃないと払えない、というので、バス会社の人に、
にちこさんが連れられて、そこらの店で両替して、購入。
1人、350B(約950円)。ここでも、2時間以上待ちました。

ノンカーイバスターミナル

バスターミナルの隣が市場だったので、
カレーそうめんや、かき氷を食べて、時間を潰します。




バンコク行きバスは、AM11:30発。
このバスの暑さは、尋常ではありませんでした。
夕方以降はまだしも、昼間は暑すぎて、
冷房がついているのに、全くきかないほど暑いのでした。

何度も休憩して、バンコク着は、23:00過ぎでした。
到着は、バンコクの北バスターミナルです。
北バスターミナルから、カオサン通りへは、
いつも通り、3番のローカルバスで行きます。
…が、3番バスがなかなか来なくて、また30分待ち。
ようやく、カオサン付近に到着できたのは、深夜24:00でした。

バンコク再北バスターミナル

さすがに、4度目なので、深夜到着でも問題なしです。
バスを降りて、テラウラのいつもの宿、メリーVへ。
ところが、メリーVが満室でした!がびーん。

蒸し暑い深夜、クタクタなのに、宿探しです。
なんとか、300B(約810円)の宿を見つけ、1泊。
この宿はダメ宿でしたので、翌朝、再びメリーVへ。
今度は空きがあったので、引越しして、ようやく一息つけました。




バンコク再訪で、一番楽しみだったのは、
大好きなスーパー、BIG Cに行けること!でした。
それから、伊勢丹の紀伊国屋書店で、今後必要になりそうな、
地球の歩き方も物色したいと思ってました。
(バンコク紀伊国屋書店の日本書籍の品揃えはスゴイです)
早速、セントラルワールド方面へ向かいました。

そこで、ぼくらは、
バンコクの現状を目の当たりにします。

赤シャツ1

日本のニュースでも、随分報道されたらしいですが、
バンコクは、タクシン元首相派の、UDD(反独裁民主統一戦線)に
市内の主要道路を占拠され、クーデター寸前の状況でした。

セントラルワールドへは、いつも通り、運河のボートで行くので、
カオサン通りを抜けて、民主記念塔方面へ。

赤シャツ2

民主記念塔付近は、赤シャツ隊に完全に占拠されていました。
道路は封鎖され、大きな交差点には、UDDの特設ステージが。

赤シャツ3

まだ、この日は、この辺を歩くことが出来たのです。
運河のボートも運航していて、セントラルワールドへ向かいます。




セントラルワールドへ着くと、
そこも、赤シャツ隊に占拠されていました。

赤シャツ4

主要な道路を占拠しようとするなら、
伊勢丹前の大通りを封鎖するのは当然です。

嫌な予感がしました。

ここまで、見て来た状況を考えれば当然ですが、
伊勢丹も、BIG Cも、営業停止中でした。

がっかりです。
ぼくらは、肩を落として、カオサン通りへ戻ります。




ボートでは、デモに参加しようと、赤シャツを着た3人親子や、
デモに向かう、ご老人なんかも見かけました。

赤シャツ5

主要な道路が封鎖されているため、
交通事情に多大な影響が出てはいるものの、
この日までのバンコクは、どこか平穏で、
デモも、お祭り半分なんじゃないか、と思えたほどでした。

実際のバンコク市内は、日本のニュースで報道されていたような、
緊張状態にはなかったのです。

カオサン通りは、いつものように、
外国人ツーリストで溢れていましたし、
いつもの屋台も、いつも通り営業していました。




しかし、翌日には状況が変わります。

午後も遅い頃、ワシャワシャパン(前回のバンコク記事参照)
を食べようと、ワシャワシャパン屋へ行こうとしました。
すると、郵便局前の広場に、軍隊と警官隊が大挙していました。

バンコク軍隊

突然の光景に、戦慄が走ります。

パン屋のある、ウェディングドレスショップが並ぶ通りの、
一方からは軍隊が進軍し、反対側からは、赤シャツ隊が。

バンコク軍隊2

カオサン通りのすぐ向こうで、
軍隊とUDDが、対峙しようとしていました。

カオサン通りは、一気に緊張。
路上屋台は屋台をたたみ、店はシャッターを下ろし、
通りにいた外国人達も、一斉にカオサン通りを離れました。

ぼくらも逃げました。

明日から、この界隈がどうなるか、
予想がつかなかったので、急いでTCを少し両替して、
宿へ戻りました。




この日(2010年4月10日)が、
タイ政府による、デモ隊の強制排除実行の日でした。

幸い、ぼくらの宿泊していた、
テラウラ界隈は、何事もありませんでしたが、
夜、宿のベランダに出ると、
銃声らしき音や、軍隊とUDDが衝突している音が、
今、この向こうで起こっている現実の音として聞こえました。

衝突の夜b

ロイター通信の日本人カメラマン村本博之さんが、
凶弾に倒れ、亡くなったのは、この夜です。




翌朝、様子をみつつ、外に出てみました。
武力衝突は、深夜には終わったようでした。

15バーツ朝ごはん屋台に行ってみると、
営業していたので、朝ごはんを食べました。

結局、どうなったのか?
ぼくらがいる間に、状況が沈静化してくれはしないかと願いつつ、
GREEN HOUSE のネット屋で、ニュースを調べました。

強制排除は失敗して、状況は泥沼化。
事態が落ち着くまでには、まだまだ時間がかかる見込み…
ということのようでした。ぼくらが、バンコクにいる間には、
解決しそうにはないことが判りました。

バンコクでは、ぼくらが出国した後も、大きな衝突が何度かあり、
伊勢丹を含む、セントラルワールドは放火され、
火災によって一部が崩落します。

この事件が、ひととおり落ち着くのは、
だいぶ先の、2010年5月下旬のことです。




恐る恐る、昨夜の、衝突の現場に行ってみました。
カオサン通りの突き当たりに、バーガーキングがありますが、
その辺が現場です。

衝突後の現場

ウェディングドレスショップのガラスが割れ、道路に破片が飛び散り、
通り沿いの店舗のシャッターには、銃弾の穴が開いていました。
地面に花が添えられていたりもします。

昨夜、ここで起こっていたことを想像させるのに、
充分すぎる現場でした。




幸い、ぼくらがバンコクにいる間には、
これ以上の大きな事件は起こりませんでしたが、
その後も、ネット屋で、毎日タイの情勢をチェックしていました。

今、自分がそこにいるのに、
毎日、日本のニュースでタイ情勢をチェックするのは、
いささか、おかしな気分でした。




タイのニュースを読みながら、
そもそも、今回の赤シャツ隊のデモとは、なんなのか?
少し自分でも調べました。

ことの発端は、
前回のクーデター(バンコクの空港が閉鎖された事件)で、
退陣、亡命したタクシン元首相が、在任中、不法に獲得した私産を
タイ政府に返還するよう、裁判で判決が下ったこと、でした。
その判決に対し、タクシン支持派が猛反発。
今回のデモに発展…ということのようですが、
それだけでは、よくわかりません。
もう少し突っ込んで調べました。

タイは、2000年までの数年で、急激な経済成長を遂げました。
国民の所得が倍増したと同時に、所得格差が発生します。
東北部の農業従事者らが、消費社会から取り残されるわけです。
その取り残された人々に手を差し伸べたのが、タクシン元首相で、
タクシン元首相は、東北部の農村などを経済的にも支援します。
しかし、一方で、タクシン元首相は、金と権力への執着が非常に強く、
金をバラ捲いて勢力圏を拡大し、専制政治を敷いていきます。

その専制政治に反発した、反タクシン派(黄シャツ)が起こしたクーデターで、
タクシン元首相は、退陣、亡命、アシビット首相政権が樹立…という、
一連の流れの上での、今回のデモ騒動。

赤シャツ隊の大半は、タクシン元首相に支援してもらった、
東北部の農村の人々なんだそうです。

そういう概要に加えて、
タイの政党の弱さや、伝統的なタイの社会、王室直属の軍部、
テロリスト的な元軍人達など、様々な要因が、複雑に絡んでいるのが、
タイという国の現状らしい…ということが、少しわかりました。




今回、ニュースでも報道されるような現場に、偶然いたことで、
その国の情勢を、より詳しく知ろうとする、きっかけとなったことが、
自分にとっては、意味のあることでした。

ただ、楽しく世界を観光して周るのもいいですが、
なぜその国が、今、そういう状況にあるのか、
もう少し突っ込んで知ろうとすることで、
全然、違う世界が見えてくることは間違いありません。

他の国のことが見えてくることで、
より、自分の国(日本)が見えてくることも少なくない、と思います。

今回の世界一周で訪れる国々の情勢について、
今までは、「対岸の火事」だったことがほとんどですが、
今回訪れる国々の情勢ぐらいは、
帰国後も、気になるようになるだろうと、思います。

また、日本の学校の授業で教わる世界史では、
ほとんど登場しない、東南アジアの国々の歴史を、
今回、少しかじって、知ることも出来ました。

そういうことも、世界一周のメリットのひとつかも知れません。




さて、4月10日の武力衝突以降、
カオサン通り周辺は、やや落ち着きを取り戻します。

この時期、タイは旧正月でした。
ソンクラーンです。

ぼくらは、知らなかったのですが、
バンコクでも、ソンクラーンの時期は、
水かけ祭りが毎年行われるのだそうです。

特に、カオサン周辺は、
水かけ祭り目当てのツーリストが集まり、
イベントも行われて、盛大に祭りが繰り広げられるのだ、
と、旅行会社で聞きました。

今年は、UDDの騒動で、
イベントなどは中止になったらしいとも聞きました。




そういう話を聞いた頃、カオサン通りを歩いていたら、
日本のテレビ局の取材を受けました。

「例年なら、カオサン通りで何が行われるはずだったか知ってますか?」
と聞かれました。
当然、このタイの現状についてどう思うか?という話かと思いきや…
取材しているアナウンサーが、求めていた答えは、
「デモのせいで、水かけ祭りがなくなって残念ですぅ~」
という、バカな答えでした。

当然、ぼくはそんな答えはせず、
水かけ祭り目当てで、こんな状況のバンコクに
来ているわけではないと話しました。

そう言ってるのに、
「水かけ祭りがなくなってどう思います?」
と、何度も聞いてきました。

要するに、クーデター真っ最中のバンコクに、
わざわざ遊びに来ているバカな日本人、
という絵が欲しかったのでしょう。

こういう取材というのが、誘導尋問のように、
取材者側が欲しい答えをしゃべらせ、
使いたい言葉だけを、作為的に編集しているのだろう、
ということが、よくわかりました。

日本のニュースメディアには、
ほんとにあきれます。




そして皮肉なことに、翌日にもなると、
カオサン周辺は、水かけ祭りで大いに盛り上がり
はじめるのでした。

水かけ祭り

ただ、水かけ祭りに夢中なのは、
地元の人ではなく、ほとんどが、外国人ツーリストです。
日本人もかなり見かけましたが。笑

外国人VSタイの子供、です。

皆、水鉄砲を手に、
すれ違う人に水をぶっかけて大喜びです。

道端では、すれ違う人になすりつける、
泥も売られています。

水かけ祭り2

写真は、安全な距離をとらないと撮れないので、
現場のリアリティには欠けますが、
通りいっぱいに人が埋まり、全員で水をかけあい、
時には、バケツで頭から水をかぶり、
5分も道を歩くと、全身ビショ濡れになります。

そんな中、ぼくらは、毎日ネット屋に通って、
次に向かう、インド情報の収集に精を出さなくてはならず、
(実はそのためにバンコクに早めに入りました)
宿から、ネット屋に行くまでに、毎日水かけ祭りの渦中を通り抜け、
つまり、全身ビショ濡れにさせられました。

ネット屋は、冷房がガンガンに効いてて、
ほんとに、風邪ひきそうでした。

にちこさんみたいな、
女性は、真っ先に狙われます。
欧米人男性に囲まれて、頭から水をかけられまくってました。

2~3日前の、緊迫した状況とのギャップに、
肩透かしをくらったような気分でしたが、
まあ、皆、楽しそうでした。

赤シャツ隊が、水かけ祭りをやっている姿も
みかけました。




人々は、水かけ祭りに夢中でしたが、
ぼくらには、いよいよ、東南アジア最後の日々です。

水かけ祭りが行われているとはいえ、
バンコク市内は、依然、赤シャツ隊に占拠されているので、
カオサン周辺からは出るのも面倒です。

でも、カオサンには、ぼくらのお気に入りの、
トムヤンクンの屋台があります。

東南アジア最後の日々を満喫するため、
そういうつもりはなかったのですが、
この、トムヤンクンを、ほぼ毎晩食べてしまいました。

バンコク再トムヤンクンb

実に、最後のバンコク7泊中、5晩の夕食が、トムヤンクンでした。
(到着した夜と、衝突の夜以外毎日)

やっぱり、抜群においしいです。

東京で毎晩トムヤンクンなんてありえないけど、
このトムヤンクンなら、毎晩食べれてしまいました。




最終日、このトムヤンクンを食べ終わった瞬間、
ああ、東南アジアが終わったんだなと、実感しました。

明日は、とうとう、
インドへ飛びます。




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  1. 2010/09/11(土) 09:34:14|
  2. 東南アジア編2:タイ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

これを読んだらタイ飯食いたくなったので今晩は"バンコクシェフ"に行きます!
  1. 2010/09/12(日) 11:05:05 |
  2. URL |
  3. やすお #-
  4. [ 編集]

>やすおさん

ぼくらもトムヤンクンが食いたくて仕方ありません。
今夜は、チチカカ湖の島ツアーから帰ってきて、
疲れたところに、ごはん3コケしてしまいました。
プーノのごはんは、しょっぱすぎです。
  1. 2010/09/14(火) 10:04:08 |
  2. URL |
  3. ぶー #-
  4. [ 編集]

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