
インド/ヴァラナスィー(2010年4月19日~4月22日)
ヴァラナスィーでの一番の記憶といえば、ガンガーから眺めたガートでも、
プージャーでもなく、暑すぎて眠れなかった1泊目の灼熱地獄熱帯夜でした。
コルカタのハウラー駅発、ヴァラナスィー行、2Aの車両に
乗り込んだのは、20:00頃でした。
動くのも嫌になるほど暑い外とは逆に、
車内は、ものすごい冷房で、寒いほどです。
インドでは、鉄道内でも、置き引きや、引ったくりや、
眠ってる間の盗難などのトラブル情報が、星の数ほどあります。
トイレに立ったが最後、飲みかけのペットボトルに睡眠薬を入れらるので、
一度目を離したペットボトルに、口をつけてはいけない、なんていう話です。
実際、そういう被害に会う人もいるのでしょうが、
ぼくらは無事ヴァラナスィーに到着しました。
(もちろん、防犯対策は万全)
そんな噂とは裏腹に、インドの鉄道では、
(路線によって違うのですが)飛行機並の車内食サービスがあったりする、
という話だったので、楽しみにしていました。
3等にはないですが、2等以上には、そういうサービスがあるらしいのです。
…が、どのエクスプレスにもサービスがあるわけではなく、
(サービスがあるのは、シャターブディーエクスプレスという特急)
ぼくらの乗った寝台特急は、ただの寝台特急でした。
(2Aの寝台は4ベッドでした)

期待して、おなかを減らして乗ったのに、車内食が出なくてショック!
仕方なく、早めに寝ました。
過剰な防犯意識のおかげか、何事もなく、ヴァラナスィーへ到着。
手前のムガルサラーイ駅ではなく、ヴァラナスィー駅に、
1時間遅れで、翌日の、11:30頃到着。(約15時間)
まずは、ペコペコのおなかをどうにかせねばと、
駅構内に見つけた食堂に、迷わず飛び込みました。
この食堂は、良かったです。
全員ターリー(定食)を食べてるので、指差し注文も簡単。
そして、なかなか美味しかったです。50ルピー(約110円)。

この食堂には、ヴァラナスィーを去る際にもお世話になりました。
なんと、同じような内容のターリーをお弁当にしてくれるのです。

こんな立派なお弁当にしてくれます。素晴らしい。
おかげで、隣の人が食べてた美味しそうなカレーの弁当を、
うらやましげに眺めずにすみました。
とりあえず、おなかもふくれたので、
オートリクシャーに乗って、宿へ向かいます。
オートリクシャーにまつわるトラブルの噂も、星の数です。
宿へ行くつもりでオートリクシャーに乗ったのに、
旅行会社へ連れて行かれ、高額なツアーを組まされたり、とか。
ぼくらも、初オートリクシャーです。気をつけなくてはなりません。
シヴァGHへ行きたいと交渉して、50ルピー(約110円)。
歩き方には、シヴァGHのある通りには、
オートリクシャーは入れない、と書いてあるのに、
運転手は大丈夫、行ける行ける、と言っています。
おかしいなぁ~と思いつつ、シヴァGHへ。
途中、運転手がもっといい宿があるけど、そっちに行かないか?
と言って来ましたが、行かないよ、早く行ってくれ、と取り合いません。
しばらくして宿に到着。確かに看板の名前は、シヴァGHです。
ところが、このオートリクシャーに、ぼくらはしてやられました。
ここは、ぼくらが行きたかったのとは違うシヴァGHだったのです。
(これとそのまま同じトラブル例が歩き方に載っていました。苦笑)
ところが、のんきなことに、
ぼくらは、そのことにしばらく気づきませんでした。苦笑
宿の人に案内してもらって、とりあえずガンガーを散歩してみて、
しばらく歩いて、ようやく気づきました。苦笑
やられた~と気づいたものの、安かったし、宿の人も親切だったし、
まあ、1泊してみて、問題なければ別にいいか、と思ってました。
ところが、問題大アリでした。
この宿での、ヴァラナスィー1泊目は、いまだに忘れらない一夜です。
インドでの最も強烈な思い出No.1と言っても過言ではない、
それはもう、大変な一夜でした。
とにかくもう、ほんとにほんとにほんとにほんとに、暑い!のです。
気温が何度だったのかわかりませんが、
裸でいても耐えられず、水シャワーを浴びて、
そのまま部屋にいられず、ベランダに立っていても、暑いのです。
なぜ、部屋にいられないかというと、
この宿のある地域一帯が、停電しているのです。
つまり、天井のファンが回りません。
更に、この夜は風がまったく無く、ベランダにいても、
部屋の中よりは、ほんの少しだけマシという程度。

水シャワーを浴びた身体が乾くと、また水シャワーです。
やがて、そんなことをしてるのにも耐えられなくなり、
どうにかして眠れないものかと、水びたしのタオルを、
足とお腹と顔に乗せ、横になってがんばってみます。
しかし、30分とガマン出来ません。
もう、ほんとに地獄でした。
ぶーさんは、明け方近く、
そのがんばりに疲れて、3時間ほど寝ましたが、
にちこさんは、朝までベランダで眠れずに、
バックパックのカバーを敷いて、体育座りしてみたり、
寝転んでみたりして、がんばっていたそうです。
というわけで、翌朝一番に引越しです。
昨日、騙されたと気づいた後、一応宿探しはしていたので、
目当てはありました。
1泊目の宿は、安宿が集中している、
ダシャーシュワメード・ロード周辺から、離れていたので、
朝、まだ日が暑くないうちに、ガンガー沿いを歩きました。
そして落ち着いたのは、フレンズGHです。
1泊目の宿の最大の問題点は、停電するとファンが止まること、
だったわけですが、ヴァラナスィーは、あの宿に限らず、
全体的にしょっちゅう停電します。
そして、外が暑いのは、あの宿でなくても同じです。
引っ越しても、停電でファンが回らなければ同じこと。
ですが、素晴らしいことに、このフレンズGHの、
ぼくらの泊まった最上階のダブル部屋は、
停電しても予備電力でファンが止まらない!
そして、ものすごい音がするけど、なんとか涼しい、
エアクーラーがあるのでした。
(エアコンではなく、水で冷やす冷風機みたいなもの)

いやもう、地獄から天国…とはいかないまでも、
現世には戻ってこれた気分です。助かりました。
ヴァラナスィーに限らず、インドには、高級ホテルか安宿しかありません。
安宿は全体的にクオリティが低く、少し奮発したところで、
大差ないのがフツウなので、フレンズGHの部屋はラッキーでした。
また、理由はよくわからないのですが、
インドの安宿は従業員のほとんどが、男性です。
そのため、掃除に問題があるのか、どこにいっても汚く、
トイレや水周りがキレイな宿はめったにありません。
その点に関しても珍しいことに、
フレンズGHは家族経営宿で、お母さんや娘さんが掃除してて、
トイレが比較的、掃除されてたことも良かったです。
(ただし水洗ではなく、手流しトイレ)
そうして、2泊目の夜は、ぐっすり眠ることが出来ました。
さて、ヴァラナスィーです。
聖なる河ガンガー(ガンジス河)に抱かれる聖地ヴァラナスィーには、
「いわゆるインド」のイメージが集約しています。
インドといえば、ヴァラナスィーなわけです。
実を言えば、ぼくらは、インドカレー以外のインドに、
あまり興味がありません。
しかし、巷では、インド人気は依然、高いわけです。
皆が皆、あれほどまでに、インドの魅力を語るのだから、
コルカタはイマイチだったけど、ヴァラナスィーに行けば、
どこか感ずるところもあるだろうと、ぼくらは思っていたのでした。
そう思って、ボートに乗り、
ガンガーから、早朝、ガートで沐浴する人々の姿を眺めました。

※ガンガーからガートを眺めるボートは、フレンズGHで頼んで100ルピー(約220円)でした。
朝日が昇る前に宿を出て、ボートの上から日の出を眺めます。
夜、ガンガーのほとりで催される、
プージャーという儀式も見学しました。

※プージャーは、毎晩のように行われていたように思います。(確かではありませんが)
毎晩のように、ガンガーの方からにぎやかな音がしていましたので…。
ヴァラナスィーの町を歩きまわりもしました。

ヴァラナスィーの人とのふれ合いも、なかったわけではありません。

しかしやはりどうにも、皆が言うほどの、
「インドの魅力」というものに、ピンときませんでした。
確かに、インドという国は、独特な国だと思います。
東南アジアとも、中国とも、中東とも違う、独特な文化圏です。
その独特さに、皆、魅かれるのだろうな~とは思いました。
要するには、ぼくらが、東南アジアの少数民族さん達の暮らしや、
中国のチベタンの人々に魅力を感じたように、
皆は、インドに魅力を感じでいる、ということですよね。
まあ、要するに、ヴァラナスィーに来ても、
ぼくらは、インドに興味が湧かなかったのです。
インドが、バックパッカーに人気すぎて、情報がたくさんあり、
来る前に予め知っていたことが多すぎたのかも知れません。
ここまでの旅で、ぼくらにとって面白かった国というのは、
実際、来るまで知らなかったことの方が多かった国です。
想像を越えた面白さがあったのは、
未知の世界だけ、でした。
インドで想像以上だったのは、
予想を遥かに越えた、暑さだけです。泣
インドという国には、興味が湧きませんでしたが、
インドカレーには、興味津々です!
というわけで、ヴァラナスィーでも、いろいろ食べてみました、
…が、どうも、食文化方面も、あまりパッとしないヴァラナスィーでした。

ターリーは美味しかったです。
でも、いろいろ食べてみたものの、感動的なごはんには、
出会えませんでした。
ちょっと面白かったのは、このお店。

店の2Fが、おじいちゃんおばあちゃんばかりで、
その雰囲気はちょっと面白かったです。
皆と同じく、プーリーのターリーを食べました。
ところで前回、
「インドが、聞いていたほど危なく感じない」と、書きました。
ヴァラナスィーには、コルカタに比べて、
とてもたくさん日本人ツーリストがいて、
そのほとんどが、大学生ぐらいでした。
ぼくの大学時代の同級生に、
バックパッカーをして、インドや東南アジアへ行き、
現地で購入してきたものを普段から大学で着ていた人達がいましたが、
そういうノリって、いまだにあるんだな~と、
ヴァラナスィーにいた、大学生らしき日本人を見て、思ったりもしました。
そして、その大学生たちを見て、
つまりは、こういうことなんじゃないか?と思いました。
インド人は、噂ほど、しつこくも、悪質でもないし、
かわそうと思えば全然かわせるし、
東南アジアと比べて、大きな差があるように思えません。
インドに関しては、地球の歩き方を隅々まで読み、
どういったトラブルがあるのかを把握していれば、
フツウの防犯対策で、大きなトラブルには会わないと思います。
インドで大きなトラブルに見舞われるような人は、
東南アジアでも被害に会うんじゃないか、とすら思います。
ではなぜ、「地球の歩き方/インド」だけが、
ああも過剰に、トラブルに関する記載が多いのでしょう。
地球の歩き方で、「インド編が最も歴史が古い」(創刊がインド編)、
ということもあるかも知れませんが、それよりもきっと、
ぼくの大学時代の同級生と同様に、
インドが、日本人の若者にとっての、「バックパッカーデビューの地」
だからなのではないか、と思いました。
バックパッカーといえば、やっぱインドでしょ!というわけです。
おそらく、デリーやヴァラナスィーに、
海外旅行慣れしていない、日本人素人パッカーが、
毎年、大挙して押し寄せているのではないか、と。
故に、そういう日本人の若者が格好の餌食となり、
他の国に比べて、トラブル被害の件数が格段に多くなってるんじゃないか、
と思ったのでした。
だいたい、デリーまで来て、ヴァラナスィーやアーグラーへ、
ツアーで行くなんて、(そういうツアーがらみのトラブルの噂が星の数)
意味がわかりません。フツウは自力で行けますから。
とまあ、異論反論をたくさん頂いてしまいそうな、
言いたい放題のヴァラナスィー編になってしまいましたが、
ぼくらのインドの旅は、もう少し続きます。
次回は、ヴァラナスィーからデリーを経由して、
ターバンをしたインド人の本拠地、スィーク教の総本山、
アムリトサルへ行ってみます。

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